私の備忘録 -5-

前回からの続き
阿部敏郎さんと出会いましたね
それからどしたの?
一人さん、正観さんと阿部敏郎が違うことがありました。
私が現実と思っているこの世界、3次元のこの世界。
これまでの人生のすべてだと思っていたこの世界。
もっと良い生活を、もっとお金を、車を、家を、老後を、と思っていたこの世界。
それがリアルではないと聞き、不思議な気持ちになりました。
阿部さんも面白い方で、常に笑顔で笑声で話されます。
とても楽しそうに話されます。
そして、私には「えーっ?!」と思うことをあっけらかんとサラっと話されます。
阿部さんは、『目醒め』という言葉を使われます。
本来の自分に戻る、ということです。
そして、この世界がデタラメで何もなく、あるのは本当のワタシ。
それが分かることは 『目醒め』だと。
そのための方法として、『瞑想』を説かれています。

これまでは、この世界で死んでも魂に戻るだけ。
体はカラの器で、肉体から離れても本当の死はない。
そして阿部さんは、さらにこの世界はデタラメだと。
このデタラメを知る方法として『瞑想』が有効だと言われたわけですね。
瞑想。
私はこれまで見様見真似で瞑想をしたことがありました。
座禅を組んで目をつぶるか半眼にして、雑念を消して『無』になる。
だけど、雑念は消えず。
体感では10秒くらいは『無』になれたけどまた雑念が出てくる。
ついには、昼間のむかついたことを思い出し、腹が立ってくるとか、
納得できなかった昨日のことを思い出し考えてしまったり…
過去に5回ほどした記憶がありますが、すぐに諦めてしまいました
沸いてきた思考に巻き込まれずただ見過ごす
思考を一旦横に置いて誰でもない自分になる
また、瞑想はしようとか瞑想状態になろうとするものではない
眠りのようにやってくるのを待つだけ
雑念、つまり思考はやってくるものだと言われ落ち着きましたし、瞑想はやってくると知り、
これまでの瞑想のやり方が違っていたことに気付かされました。
瞑想への取っ掛かりが全くない私はこの通りに始めました。
ゼンサンガ(阿部敏郎さん会)に入ると瞑想で唱えるマントラを授与していただけるそうですが、
マントラがない人は、例えば呼吸を数えるとか何も決まりはないよとのこと
私はこの呼吸を数える(数息観という)を行い、これまで5分とできなかったのに、数回程度で20分は瞑想できるようになりました

瞑想ができるようになったんだね
何か分かったことはある?
正座や座禅をするとすぐに足が痺れてくるので、胡坐で足を組まずにするのですが、
それでも10分程度で痺れてくるのですが、瞑想状態に入った時には、
胸の辺りや頭の辺りにしか意識がなく、手足などの感覚がなくなり痺れを感じない。
自分がフワッとそこにいることは分かる状態。
他には、背中の後ろから自分を見ている状態が一度ありました。
多幸感があると言うが、私には時間も空間も何もないところにいることはあっても
多幸感溢れるというところにはいません。
まだ状態が不完全なのかも。
それに、毎回ではなくまだ数える程度しかないです。
阿部さんの言われる自分ではない何かにはなっていたのかなと思います。

なるほど。
日常と違う感覚になったんですね。
今回はここまで。
またこの先を次回聞かせてください。