ある日、人生を自分で決めることを辞めました。
私は今、これまでの40数年の生き方・考え方を完全に変えました。
これまでは
自分の都合と違うことになれば不機嫌になり文句を言い
自分の言い分が通らなければ嫌な気持ちが顔に出て気分を害す
自分にされて嫌なことも簡単に人には行い、自分は間違っていないと思い込み、
自分では良い人間・人として間違っていない人間と思っていました。
心はというと、いつも晴れやかで明るいつもりでした。
が、人の目を気にし常に空気を読もうとし、人の陰口には怒り落ち込み、
自らは人の悪口を言い、自分が正当なことを考え、相手が悪いと結論付ける。
常に心に頭に色んな感情があり、夜も過去を明日を考えて寝つきが悪い。
そんな毎日を過ごしていました。
私はある時、自らの飲酒運転が原因で会社を自主退職することになりました。
恥ずかしくも取り戻せない何とも言えない情けないことでした。
ですが40歳を超え、まだ先の長い人生に対し、持ち前の切り替えの早さで
気持ちを切り替え『これからをどうしよう』と前向きに考えていました。
これまで仕事に追われ休みも殆どなかった日々から離れ、改めてこれからを考えました。
そこで、ふと気付きました。
原因があって結果がある。
今の結果に満足できないのは原因があるか。
何度か結果を見てきたけど、結局またゼロに戻ってきた。
原因である私の考え方では、また同じことの繰り返しになる。
では、これからは自分で決めることはやめないと。
ならどうやって物事を決めて進めていくのか。
どうしようかと考えていたときに、とある仏教の宗教団体と出会いました。
正確には、以前から入信してはいたのですが歩みを止めていたため再度歩み始めた。
母が入信しており、母から誘われ入信したのですが、その時は続きませんでした。
大した迷いもなく、まだまだ俺はできる!と思っていたので受付なかったんです。
当時は自分が結論を決める!誰のアドバイスも受け付けなかったですし、
自分で悩んで悩んで答えを見つける!宗教する人は現実から逃げてる!と思っていました(/ω\)
仕事を辞め、これから何の仕事をしようか考えていて時間はある。
久しぶりに行ってみようとなぜか思ったのでした。
再び自ら歩み始めた宗教、仏教やお経書を自分で勉強し出しだし、
その団体の教えが信じられ、この教えに従って生きて行こうと決めました。
宗教がそばにあると、気持ちは本当に楽になりました。
迷ったり不安になったり、どうして良いか分からない時にも教えを知れば先が照らされる。
『洗脳』と言われるかもですが、兎に角自分の気持ちが安らぐことが救いでした。
その頃の私は、誰に言われずとも教団施設へ定期的に行き、また方向性をいただく。
その生活に満足していましたし、以前と違い自分が宗教をしていることを隠さなくなりました。
とは言っても、偏見を持たれていまうので職場では隠してました。
教団の教えは仏教ですから馴染みやすく、教えは腹にすとんと落ちました。
中でも、教団独自の『あの世?』『見えない世界』との交信を行い、教徒一人ひとりに
先祖からの因縁、歩むための助言から体の変調などを教えてくださる。
テレビや雑誌に書かれた眉唾のものと疑いがありましたが、今の心や体の不具合、
気を付けることなどを言い当てられ、それが何度と続き自ずと信じれました。
私自身、幽霊や信じられない不思議を色々聞いてきましたが、目には見えない世界がある
と元々信じていましたので、演技でも口裏合わせでもないと教団を心から信じました。
そして約2年ほど歩み続けました。
そうしたある日。斉藤一人さんに出会いました。