神社の歴史
神社は、約6万あるコンビニ(2023年現在)よりも多い。びっくり!!
これまで神聖な場所なんだろうなと思ってはいたのですが、ただそれだけのお付き合いでした。
そこで改めて神社を知りたいと思いまして、自分なりに調べて納得できたその備忘録です。
神社とは、神道の祭祀施設。
では神道とは何か。
神社の起源
神道とは、そもそも経典や教祖もなく、祀られる神様も祭も地域によって異なるので、
目には見えないが確かに感じる精神、こころの信仰だと思います。
色々調べてここまでで分かったことは、神道は縄文時代には確認ができていること。
その頃は今の神社、いわゆる神社神道ではなく、社殿もない自然崇拝だった。
※神道という名称は、仏教伝来により仏教と区別するために名付けられました。
自然崇拝とは、自然すべてを対象にする崇拝。天・地・山・海などすべてに神は宿る。
八百万の神を祈る、その昔の我々日本人の暮らしの中から生まれた。
神が依代として降りるとされた磐座(イワクラ)を信仰する磐座信仰や、
祭祀を行うために神をお迎えする神籬(ヒモロギ)を建てて信仰する神籬信仰がある。
「鏡をひたすら私の魂として拝むように祀りなさい」仰せになり、
思金神(オモヒカネノカミ)に祭祀を執り行い、政治を行うよう仰せになられた
日本書紀(一書の二)では、天岩戸に閉じ籠られたアマテラスさまをお出で
いただくために、天児屋命(アメノコヤネノミコト)が神を祀って祈った
この神籬(ヒモロギ)が常設されたものが神道の神々を祀る・祈る施設として神社となった。
神社のはじまり
そうして時代は弥生時代。
稲作が始まり、農耕で生活できるように神様にお祈りするようになった。
なぜなら収穫は自然に左右されるため。
雨風の被害を減らし秋の収穫では感謝し、春には豊作を願うためにお祈りする。
その時代を考えれば、雨が連日続けば稲作の成長に影響するため太陽を願う。
自ずと願いを捧げる対象が万物となるのは想像できますね。
弥生時代にあったとされる神社の遺跡が見つかっており、現状は弥生時代が神社神道のスタート
と言えるのではないでしょうか。
※愛知県新城市の石座神社遺跡など
神仏習合
そして538年?6世紀に仏教公伝、伝来です。日本土着の神道と仏教が融合します。
仏教を広めたい蘇我氏が仏教反対の物部氏に勝利したことで日本に広まることになる(崇仏論争)
7世紀頃~
仏と日本の神とは性質が違うと認識され出し、日本の神は仏教を擁護する護法善神とされた。
これを神身離脱と言う。
また、神社の一隅に神宮寺(神社に附属して建てられた寺院)を建て、
神の化身として仏像が置かれた。
こうして仏教は、神道を自らの内部へ取り入れていくようになり、本地垂迹の思想が強くなる。
そうして7世紀後半から平安時代にかけて 「仏教が主、神(神道)が従」
つまり本地垂迹の思想となった
それでも、平安時代になる頃には、神事では仏法を禁止する動きも出てきた。(仏法禁忌)
平安時代
927年には、全国の神社をまとめた延喜式神名帳(巻九・十)が集成された。
当時は、延喜式にある神社は国から幣帛(ヘイハク)が奉献されていた。
これは今の神社の由緒書きなどで 延喜式内社・式内社・式社 と書かれているのはこのことで、
当時存在していても延喜式神名帳に記載がない神社を 式外社(シキゲシャ)と言う。
因みに「論社」「比定社」と書かれているのは、延喜式に記載されていた神社と同一か後裔。
式内社は、官弊社(官社)と国弊社に大別される。
官弊社:毎年2月の祈年祭に神祇官(朝廷の祭祀を司る)から幣帛を受ける神社のこと
国弊社:国司(地方行政単位の国の行政官)から幣帛を受け取る神社のこと
※重要な神社は官幣社となっている
また、大社と小社も区別されており、官弊大社・国弊大社・官弊小社・国弊小社と四つに分類。
※官幣大社は畿内に集中しており、官幣小社は全て畿内に、国幣大社と国幣小社は全て畿外にある。
また、朝廷から特別の崇敬を受ける神社も出てきて、最終的には二十二社となった。
これも今の神社の由緒にある「二十二社」とはこのこと。
※一之宮、二之宮や惣社(総社)が定められたのもこの頃です。
<二十二社>
上七社 | 中七社 | 下八社 |
---|---|---|
(伊勢)神宮(三重県) | 大原野神社(京都府) | 日吉大社(滋賀県) |
石清水八幡宮(京都府) | 大神神社(奈良県) | 梅宮大社(京都府) |
上賀茂・下鴨神社(京都府) | 石上神宮(奈良県) | 吉田神社(京都府) |
松尾大社(京都府) | 大和神社(奈良県) | 廣田神社(兵庫県) |
平野神社(京都府) | 廣瀬大社(奈良県) | 八坂神社(京都府) |
伏見稲荷大社(京都府) | 龍田大社(奈良県) | 北野天満宮(京都府) |
春日大社(奈良県) | 住吉大社(大阪府) | 丹生神社(奈良県) |
貴船神社(京都府) |
鎌倉時代
中期には、神道側が仏教から独立する動きが出てくる。
「神(神道)が主、仏が従」、逆に仏・菩薩が神の権化となる反本地垂迹の考えが出た。
明治時代
幕末頃から神仏分離、神道の尊重と仏教の疑問の声が広がる。
西欧列強への対抗として防衛整備の近代化の一つとして大砲新造のために寺院から梵鐘や仏具を
提供させ、多くの寺の整理が始まった。
そして大政奉還となり、新政府が祭政一致を打ち出し、神道の国教化を図って出されたのが、
神仏分離令(神仏判然令)、1868年のことです。
神仏分離令とは、神道と仏教、神社と寺院とをはっきり区別すること。
このころには復古神道の考えも打ち出され、国家神道に拍車が掛かる。
そうした流れがあり、長年仏教に圧迫されてきたと考える神職者たちによって廃仏運動が展開。
廃仏毀釈運動が全国的に発生することになった。
1854年、日米和親条約が締結し、鎖国体制が崩壊。
日本の政治家たちは世界へ飛び、ヨーロッパやアメリカの文化・価値観に触れ、
日本にも精神的な規範が必要だと考えた。
そこで注目したのは日本人の日常生活に深く馴染んでいる神道だった。
そして神道を広めるために神仏分離令にて神社とお寺は別のものだと整理し始め、
国が神社を管理しやすくするため統合するなど国家の支配下に置いた。
これが国家神道
そして1906年 神社合祀政策が進められた。
なお、明治維新から1945頃までの神社制度は、近代社格制度と言われている。
近代社格制度は、延喜式に倣っており、新たに神社を等級化した制度。
社格を、官社と諸社(民社)、無格社に分け、伊勢の神宮は社格のない特別な存在とされた。
官幣社・国幣社をまとめて官国幣社(官社)と言い、大・中・小の格を付けた。
官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社 となる。
諸社(民社)は、府県社(府社>県社>藩社)・郷社・村社に分けられた。
無格社とは、法的に認められた神社の中で村社に至らない神社。
※府県社と郷社の一部までは、幣帛料(布帛の代わりに貨幣)=神饌幣帛料が奉献された
昭和時代、終戦
国家神道として歩み出したのですが、この後大きく変わることになります。
1945年、第二次世界大戦の敗北です。
GHQにより国家神道が解体された、いわゆる国教分離指令(神道指令)。
翌年元日には、昭和天皇の人間宣言がなされ、次に神道関係法令が廃止されて、
国家神道は完全に解体された。
現在
現在の神社は、GHQに制定された宗教法人令に基づいて、宗教法人となりました。
一番大きな団体は 神社本庁で、あくまでも文部科学大臣所轄の宗教法人です。
他の宗教法人と同様です。
なお、神社本庁が包括している神社で、規模の大きな神社や、神職の進退に関して、
一般神社と同じ扱いをすると不都合が生じる神社を定め、特別扱いをする神社として、
別表神社(一覧は公開)としています。
また、神宮や大社、稲荷社などは社格と呼ばれますが、現代では社格はありません。
社格は戦後にGHQにより神社の国家管理が廃止されると同時に廃止されました。
現代言われている社格は、明治時代に定められた「近代社格制度」のこと。
「旧社格制度」とも呼ばれます。
私は、これまでの人生で神社がこれほど身近なものだとは知りませんでした。
七五三くらいは記憶が朧げにあり、後は12/31は中学生の時でも門限がなくなり、
友達と1/1 0時に神社に行くという遊び感覚でした。
でも、小さい頃からよく言われていたことに
・道にも神さまがおられるから唾を吐いたらいけない
・ご飯粒を残した目が潰れる
など、日本人のこころ・精神には八百万の神が根付いていたんだと思います。
調べていくと、私には日本人に密接で大切で腑に落ちる精神的支柱こそ神道だと思います。
ですが、なぜ現状私もつい最近まで神道を知らなかったのか。
GHQによる…ではなく、宗教としてなぜ強くなかったのか。
心の拠り所として宗教という存在は必要だと思うことがあります。
宗教の種類はさておき、自分だけでは判断できないときがあります。
どうしても解決できず、落ち込んでしまうことがあります。
そんなとき、宗教の一言でパっと心に花が咲く瞬間がありました。
その宗教には現代施設があり、信徒制度があり、経典があり…
定期的な参加態勢や困った場合の相談方法が用意されています。
そこで、安心というものがあるのかもと思います。
神道、つまり神社に行っても、答えや次の指針を教えてはくれません。
※霊力?があれば分かるのかも知れませんが…
そこが、違うのかも知れませんね。
でも、お参りができる場所である神社がある。
私はそれが日本人のカエル場所なのではと思います。
お参りにをし、手を合わせて祝詞を捧げる。
自分なりに何かを感じ、勝手に『そうか』『そうでしたか』と思えば良い。
私はそんな風に思います。
外来の仏教とは違い、日本土着信仰である。
安産祈願・お宮参り、七五三、合格祈願、縁結び、結婚式など考えたら成長に関わってますね